お姉さん日記

文章を書く練習として始めました

ノーベル賞受賞、本庶佑先生

 年を重ねるにつれて、やりたいことをやることの難しさを感じる。やりたいことをやるだけなのに、そこには昔よりも色々な問題がくっついてくるからだ。その問題というのは、例えば、お金であったり、時間、周囲の協力や周囲との関わりなど諸々である。そして、これらくっついてきた問題がとても厄介で、この問題達がやりたいという意思をも占領してしまうことがあると感じる。時には、やりたいことがやりたいことではなくなっているだってある。こんなことを感じるようになり、生きにくさと苦しさを感じて悩んでいた状況に、昨日のノーベル賞を受賞した本庶佑先生のコメントは一石を投じたような衝撃と感銘を与えた。

 本庶先生は、研究続けていく指針となる精神は「知りたいことを追求する。できることを追求していくと、一貫性を見失う時が出てくる。何かに迷った時は、常に自分は何が知りたいかを胸に聞くようにしている」と述べてた。このコメントを聞いたとき、「あぁ、それで良いのか。やりたいことを追求することを曲げなくて良いのか」と思った。

 本庶先生の研究は、上記の問題と質や規模は違うとも、様々な問題や壁が生じてきていると思う。しかし先生はその都度、やりたいことを優先し、意思強く研究を続けた。そして、医学界に大きな成果をもたらすという偉大な成果を生み出した。

 この言葉が与えてくれた勇気で、私は今日から一層努力に励めるだろう。感謝と敬意を表して、本庶先生の言葉を胸にしまう。

愛情の伝達方法

 恋人や友人、家族などに愛しているという気持ちを抱いたとき、それは様々な言葉を介して伝えられる。「世界で一番愛している」や「君と結婚したい」「あなたと一生仲良くしたい」といったものではないだろうか。こう言われた人はこの言葉から愛を汲み取り、愛を感じる。とても素敵なものだ。しかし、愛を伝えるのは言葉だけではない。

 愛は言葉だけではなく、時間や行動といったものでも伝達可能なのである。過去から今に至るまで、誰かが私に注いでくれた優しさがゆっくりと時間に乗って愛を運んでくれる。愛を持った行動が、愛そのものを運んでくれる。そういった、愛の形を、大人になってから知った。とっても温かい愛情を、私の手の中で、ずっとずっと温めていたい。

欲しいもの

 過去の写真なんか見たら、あぁ今の自分と全然違うなぁなんて感じたりする。過去と今の自分の違いに驚き、そしてその違いを成長と捉えてみたりする。この驚きとか何か分からない虚無感とかを受け入れられるからだ。なんだか切なく、こんな自分が嫌になる。成長と捉えてる今さえも好きになれないのだ。

 私は、過去と今を比較する行為を幸福感を持って感じられる人には敬服したい。きっとそんな人は、過去・今・未来といった時間を大きく感じることができる能力を持っているんだろう。大きく感じるというととても曖昧だが、なんとなく意味が伝わってほしい。抽象的な、時空平衡感覚でも言えるか。私は、このように時間を一直線に感じられるようになりたい。そうして、過去の自分を何時でもどこでもすんなりと受け入れられるようになりたい。過去と今と未来と生きて行くようなセンスが欲しい。

価値について

生きる価値はなんだろう。私って何なんだろう。

そう、悶々と問い続けても答えはでない。答えとはそう問い続けることをやめた時に初めて生まれるものだ。「探しているうちは見つからない」なんて、誰かが誰かに言ったことがありそうな言葉。価値とはそういうものだ。問うこと、悩むこと、見えない終着点を模索すること、そういった繰り返す作業とそれに費やす時間こそが、生きる価値へと変わるのだ。

私は生きる価値を探すのに3年を費やした。その中で見つけた、私にとって生きる価値とは「生きると勝手についてくるおまけみたいなもの」である。バーで飲み物を頼むと勝手についてくるチャームや居酒屋で出させる突き出しみたいなもの。価値ってきっとそんなもの。生きていると勝手についてくる。しょうもないといえばしょうもない、無くてもいいのについてくるちょこっとハッピーになる付属品なのである。

だから、私は思う。価値なんてあまり大した意味を持たないから、価値を持つことにこだわらないでいい。ただ生きたいように生きたらいい。劣等感など感じずに、好きに生きよう。